【書評】小説『夜は短し歩けよ乙女』感想 僕のオモチロイ恋愛劇はいつやってくるんだ!

あー、恋愛して~

恋愛っていうか、華やかな大学生活を送りて~

そうはいっても、私ももう若くはないし、モテたこともない。そもそも友達もそんなにいねぇ!

というか、大学生活に憧れておきながら、私自身は大学中退者なのである。

サークルで遊ぶこともなく、黒髪の女性と恋愛することもなく、私の大学生活は終わりを迎えてしまった。

 

そんなわけで、バラ色の大学生活というのは無縁な私がある本の書評を書く。

 

夜は短し歩けよ乙女

 

実は、原作よりも先に映画を観てしまっている。

私は湯浅監督が好きであり、彼の作品は大体観ているものだから、原作よりも先に映画に手を出したのは必然であった。

映画がいたく気に入ったので、原作にも手を伸ばした次第である。

夜は短し歩けよ乙女

概要

どんなこともに興味津々な黒髪の乙女と、彼女に想いを抱いている先輩の物語である。

舞台となるのは、ファンタジーが入り混じった京都。乙女は道中で出会う不思議な人物たちと楽しい時間を過ごし、先輩はそんな彼女の背中を追いかける。

お互いの視点から物語が進行するため、ひとつの物事をふたつの視点から見られるのが特徴だ。

そして本作は、主に以下の4つの章に分けられる。

  1. 夜は短し歩けよ乙女
  2. 深海魚たち
  3. ご都合主義かく語りき
  4. 魔風邪症候群

それぞれを簡単なあらすじで紹介していこう。

夜は短し歩けよ乙女

結婚式に出席していた乙女は、二次会には参加せず、夜の街へと繰り出す。

そこでは自信を天狗と名乗る男や、春画を集める東堂、詭弁論部のメンバーなど、クセの強い人たちと出会う。

ついには「偽電気ブラン」なる幻の酒を求め、酒豪の李白老人と飲み比べをするのだった。

一方で先輩は彼女を追い、謎の男に身ぐるみをはがされる。そこへ乙女に拒絶された東堂がやってきて、彼に洋服をめぐむのだった。

深海魚たち

舞台は古本市。乙女は「ラ・タ・タ・タム」という名の絵本を探している。

先輩はいち早く「ラ・タ・タ・タム」を手に入れるため古本市に訪れるが、不思議な子どもに出会い、今回もから回りしてしまう。

黒髪の乙女もまた、「ラ・タ・タ・タム」を求め、古本市をさまよっていた。

ご都合主義かく語りき

舞台は文化祭。ゲリラ的に演劇をおこなう「偏屈王」が話題となっていた。

乙女はひょんなことから、「偏屈王」のヒロインに大抜擢される。学園祭事務局に追われながらも、「偏屈王」は終幕に向かっていく。

一方、先輩はなんとかして乙女の”相手役”になろうと走り回っていた。

魔風邪症候群

悪質な病が流行っている京都。風邪の神様に嫌われている乙女だけが、風邪をひいておらず、彼女は友人たちのお見舞いへと勤しむ。

そして、すべての風邪の原因を突き止め、精いっぱいのお見舞いをしにいくのだが…。

そのころ、先輩もまた風邪をひいており、不思議な夢を見ていた。

 

映画との違い

最初に映画と原作との違いを説明しておきましょう!

どちらもオモチロイ作品であることは変わりないのですが、映画と原作は決定的な違いがあるのです。

原作は先ほど紹介した全4章が1年の出来事として描かれています。先輩は1年という長い時間、乙女に対する溢れんばかりの想いで眠れない毎日を過ごしていたのでしょう。

しかし、映画では全4章すべてが「一夜」の出来事になっているのです!とんでもない詰め込み具合です!

今にして思うと、映画のスピード感に驚きを隠せません。それでいて違和感なく物語を飲み込めたということは、映画を作った湯浅監督の手腕ともいうべきでしょうか。

わたしは原作を読んで、改めて映画の素晴らしさを知ったのです!

感想

※作品の内容について少し触れているので一応ネタバレ注意

恋愛モノでありながら、恋愛要素は少ない

そもそも、本書は恋愛小説なのだろうか。まずはそこから語らなければならない。

少なくとも、恋愛要素は存在している。主人公のひとりである”先輩”は、その行動すべてが”黒髪の乙女”に直結するからだ。

「彼女のためなら屋上からも飛び降りる」これを恋愛要素と呼ばずして、なんと呼ぶのだろうか!

しかし、本書にはふたりの直接的な恋愛描写はほとんどない。とにかく先輩は彼女の後を追いかけ、それに気がつかない彼女は自由奔放に夜の街をねり歩く。これが本書の基本的な流れである。

私が思うに、本書の魅力のひとつは森見登美彦氏が描く不可思議な世界観だ。竜巻で恋(鯉)が巻き上げられるなんて、李白氏の咳が突風を引き起こすなんて、誰が想像するだろうか。

私達が想像もできないような摩訶不思議な京都を見せてくれるのが、本書を手に取るひとつの理由になるだろう。

一方で、『四畳半神話大系』など過去の森見作品が肌に合わない方は遠慮した方がいいかもしれない。逆にどっぷりと浸かれる方には強くおすすめしよう。

黒髪の乙女の魅力

わたしは最初に映画を観てしまったため、黒髪の乙女は花澤香菜さんの声で再生されるようになってしまいました。

これは有り難いことなのでしょうか?それともイメージを固定させない方が、よかったのでしょうか?わたしには判断でき兼ねます。

先ほど「世界観」が魅力のひとつだと書きましたが、「黒髪の乙女」も本書を語るうえで、外すことのできない存在です!

「なむなむ!」の口ぐせが代表するように、黒髪の乙女には少しテンネンな部分もあります。猛烈アタック(しているように見える)する先輩の気持ちに気がつかず、興味がわくほうへずんずんと進んでいく女の子なのです。

好奇心の強い女の子というのは、たいへん魅力的に映るもので、命をかけるほど先輩が恋をしてしまうのも当然といえるでしょう。

特に「偏屈王」を終えたあとの、黒髪の乙女の可愛さときたら!! ページをめくる手が止められません!

「わたしもこんな女の子に出会えたらなあ」と、叶いもしない想像を膨らませたものです。

読者諸君、酒を持て!

私だけだったら申し訳ないが、本書は実に酒が飲みたくなる小説であった。映画も同じく焼酎片手に一杯やりながら観たい作品であったが、小説に関してはブランデーまたはコニャックが飲みたくなる。

黒髪の乙女と酒を酌み交せたら、どれだけ楽しいだろうか!李白爺が羨ましい!!

実は本書に登場する「電気ブラン」は実在する酒の名前だ(「偽」電気ブランは架空の飲み物だが)。私は一度も飲んだことがないが、浅草のバーで飲めると、かの有名な”うぃきぺでぃあ”に書いてあった。

夜の浅草のバーで、黒髪の乙女や樋口さんたちと酒を飲めたらどれだけ幸せだろうか!東京者の私は、京都よりも東京下町の方がイメージしやすいのだ。

しかし、悲しいことに私は下戸である。先ほど「ブランデーまたはコニャック」と書いたが、飲んだことは一度もない。

目の前に黒髪の乙女がいたとしても、彼女と酒を飲んだら会ったことすらキレイさっぱり忘れてしまうだろう。

下戸ではあるが、酒を飲みたくなる…といった表現は嘘ではない。実際に飲めもしない酒を、徒歩数十分離れたコンビニまで買いに行こうとしたほどだ。

私の場合は理性がそれを止めたが、この記事を読んでいる諸君はぜひ酒を飲みながら、本書に触れて欲しい。

 

以上!!!